未来の日本史博士の時典

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空母加賀が発見された!で、加賀ってどんな船?

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どうも未来の日本史博士です。

実は僕はミリタリー好きでして、加賀発見のニュースにとても湧いています!

という訳でたくさんの人に加賀について知ってもらうべく、この記事を書きます。

加賀の主要諸元


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母港 佐世保港
建造年/場所 1928年3月31日 川崎造船所(艤装のみ横須賀海軍工廠
最期 1942年6月05日沈没 ミッドウェー
基準排水量 38200t
速力 26.7ノット
全長 238.51m
乗員 1269人
艦載機 三式艦上戦闘機16機/一〇式艦上偵察機16機/一三式艦上攻撃機28機
兵装 20cm連装砲4門/20cm単装砲6門/45口径12cm連装高角砲12門/13mm連装機銃4基/留式機銃2挺

空母の速さの必要性

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コトバンクより引用

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カタパルトに接続した戦闘機


この時代、艦載機はどうやって発艦したでしょう?

ちなみに現在は蒸気や電気の力でカタパルトを使って一気に加速することで飛んでいきます。しかし、戦争が始まるころはそんな科学技術はありません。そのため風の向きに合わせて30ノットまで加速することで飛行機が飛べる速度に合わせていました。

そして今回の加賀ですが「ロ号艦本式ボイラー」というものを搭載していました。艦本式というのは艦政本部が開発した国産のボイラーという意味らしいのですが、実は最大戦速でも28ノットしかでないのです。まあ飛行甲板が広くて飛ばしやすいので人気だったようです。

戦艦時代、三段甲板時代

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そもそも空母には「飛龍」「瑞鶴」といった空を飛ぶ縁起の良い生物から名前を取っています。ですから「加賀」という名前はイレギュラーなわけです。では、何故か?

ヒントは「陸奥」「山城」「武蔵」「大和」分かりますか?

答えは旧令制国の名前を取っています。という訳で「加賀」という名前の通りもともと戦艦として作られたんです。でもワシントン海軍軍縮会議で主力艦(戦艦)の保有が正弦されてしまったんです。だから抜け道として空母に改装することにしたんです。

で、世界的に珍しい三段式の飛行甲板を備えた空母に生まれ変わりました。

一段式空母時代、太平洋戦争開戦直前まで

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三段の場合、意外と効率が悪いらしいんですよ。二段目からは艦載機は飛ばせず、三段にしたせいで艦載機の数も少なかったんです。同時期に巡洋戦艦から改装された「赤城」が「加賀」よりも5ノット程早いため一緒に行動できません。そういった事情を踏まえて性能改善、甲板全通化のため呉海軍工廠にて再改造が行われました。

こうして出来上がった「加賀」は帝国海軍空母のスタンダードモデルとしてこの形が引き継がれています。

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「加賀」の初戦は第一次上海事変です。この戦闘自体は引き分けに終わったものの帝国陸海軍史上初めての敵機を撃墜しています。

この後に前述の改造が行われ、第二次上海事変にも参加、太平洋戦争が勃発します。

次回、真珠湾攻撃からミッドウェー海戦まで、そして加賀発見についてです。

空母「加賀」について、10月22日の即位礼正殿の儀、11月10日の祝賀御列の儀についての特集を組むので天皇の歴史シリーズはいったんお預けになります。

ともあれ、それなりの頻度で更新していくので、乞うご期待!