藤原一族の野望#7 村上源氏の没落と藤原氏の隆盛
どうも未来の日本史博士です。
今回は源高明そして冷泉院の次の円融院についてのお話です。ではさっそく解説始めます。
今回の時代の天皇 | 冷泉天皇 円融天皇 |
在位967年~969年 在位969年~984年 |
時の権力者 | 源高明 藤原実頼 |
贈従一位、正二位左大臣 贈正一位、従一位摂政関白太政大臣 (詳しくは前記事参照) |
安和の変
ここでの登場人物は源高明です。彼は醍醐天皇の息子の一人で臣籍降下して源氏姓を賜っていました。前回の村上、冷泉時代の権力者であった藤原実頼の弟・師輔と交友があったようで、師輔の娘を娶っています。この後ろ盾を得た高明は急激に勢力を伸ばしていきます。ちょうど冷泉の即位とともに左大臣に就任します。その直前に自分の娘を冷泉の弟・為平親王に嫁がせています。
前回の記事で紹介した冷泉は奇妙な行動が多く、実頼は政務が心許ないということで関白に就任しました。で、実頼は考えます。皇位を早く交代すべきだと。まあそうですよね。という訳で皇太子を選び始めます。ここで候補に挙がったのが冷泉の弟の為平親王、守平親王の二人です。
さあどちらの親王が皇太子になったでしょう?
藤原氏が実権を握っているんです。だから為平親王よりは守平親王を選びますよね。それに憤慨した源高明は大いに失望したと。でもこの時すでに師輔は亡くなっていたんです。藤原氏は源氏勢力が天皇の外戚になることを恐れたんですかね?
その後、謀反を起こそうとしているという内容の密告があり、藤原実頼によって太宰府に左遷。こうして完全なる藤原氏の独裁政治が始まります。この一連の流れを「安和の変」といいます。
摂関家に振り回された天皇
「安和の変」によって担ぎ上げられた守平親王が円融として11歳なのに即位します。摂政は順に実頼、伊尹、兼通(伊尹、兼通は実頼の弟・師輔の子)が就任します。
振り回されたのは何か?題名にありますがはたしてどういうことなのか?
まあ兄弟喧嘩です。兼通とその弟の兼家によるものです。この権力争いは今回は省略しますが、なかなかすさまじいもので、円融自身もかなり振り回されたようです。
やはり権力争いで重要になってくるのが天皇の外戚になれるか、ということです。
最終的に両者ともに娘を入内させ、兼家の娘が後の一条天皇となる懐仁親王を産んで兼家が実権を握ることになります。
しかし、この争いに巻き込まれた円融は疲弊し冷泉の息子・師貞親王に皇位を譲りました。
次回藤原道長登場です。乞うご期待!
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