未来の日本史博士の時典

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王朝交替説とは何ぞや?を解説〜継体天皇の治世〜

どうも未来の日本史博士です。

今回は雄略天皇の後の話になります。そして当方が日本書紀の話のなかで最も気になる話の一つの継体天皇皇位継承の話がメインになります。

では早速雄略天皇の次から始めます。 

 

 

清寧天皇から仁賢天皇まで

雄略天皇の次は22代・清寧天皇が即位します。清寧雄略の皇子です。

善政を敷いたそうですが、目立った事績はありません。アルビノで幼少から白髪だったそうです。清寧には子供がなく、親戚筋をたどって播磨で見つけ出した兄弟の弟が23代・顕宗天皇として即位しました。その次には兄の24代・仁賢天皇が即位します。この兄弟は雄略天皇に殺害された市辺押歯皇子の遺児という関係があります。

雄略天皇と市辺押歯皇子の関係はこちらから

gonikyuroku.hatenablog.com
仁賢については聡明で謙虚な人物だったと日本書紀には書かれています。

また五穀豊穣で人口も増え大いに繁栄しました。

また顕宗が即位するまでの間に政務をとっていた飯豊王古事記では天皇として扱われえており宮内庁でも飯豊天皇と称されています仁賢の次には皇子の25代・武烈天皇が即位しました。即位する前にも一悶着あったようなので紹介します。仁賢崩御したのち大臣・平群真鳥が自ら王になろうとして、大伴金村が兵を率いて討伐したそうで、大伴金村継体天皇一件でも活躍します。

ただ武烈は即位後暴君と化し、一般人に対して残虐な行為を繰り返します。

越の国からやってきた皇子K

かっこつけた見出しにしましたが、頭には残るとおもいます。

で、ようやく本題に至りましたが解説を続けます。

王朝交替の推論の前に記紀書かれている事績について紹介します。

武烈がわずか18歳で亡くなり、次の天皇の候補に挙がったのが15代応神天皇の5世孫の継体天皇となる人物です。


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福井県(当時の越の国)にある継体天皇像)
ここで再登場するのが、大伴金村です。金村が何度も申し入れてようやく継体が即位します。正当性を与えるために仁賢の皇女を妃に迎え入れたました。農業の振興に尽力し、九州で反乱を起こした磐井物部麁鹿火に鎮圧させたりしました。

 

本題の王朝交替説

今回の主人公の継体天皇ですが、それと関係する王朝交代説についてここからは語っていきます。


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引用:sirdaizine.com

 

ではまず、継体のときにどうして王朝交代が行われたと言われているのか、について。前述の通り継体応神の5代後の子供だと言われていますが古事記にも日本書紀にも全く系譜がないんです。しかも応神の母親が神功皇后である以上その存在を疑わざるを得ないので継体の出自も怪しくなってきます。こういった事情をふまえて史学者・水野祐氏が「三王朝交代説」を提唱しました。これは10代崇神から始まる三輪王朝、16代仁徳から始まる河内王朝、そして26代継体が簒奪して建てた王朝。そして現在は継体の血統を受け継いでいる、という 説です。

では続いて王朝交替説に反対する論を説明しましょう。

こちらには有力な物証があります。それは和歌山・隅田八幡神社に伝わる人物画像鏡に刻まれた銘文です。で、その中には「癸未(きび)年」という年紀があって、この期間は継体が即位する数年前の503年といわれています。特にこの銘文中には「男弟王(おほど)」という人名が記載されてあり、この人物が継体が即位する前の名前であり、またその名前にある「王」という表記が周囲の豪族ではなく、皇族の一員であるとわかる、という証拠があります。そこから王朝は交替した訳ではなく、皇統はつながっているといえるでしょう。さらに、記紀より昔の「上宮記」という文章に応神から継体につながる系図が書かれている、というのも大きな証拠ですね。

 

何にせよ、血縁が遠かったのは事実であって、大和に入るまでに20年かかりました。

これは継体の大和入りに抵抗する勢力がいたからと考えられます。その勢力は葛城氏と言われています。雄略に攻撃を受けながらも勢力を保っていたようで、あやうく本当に簒奪されるところだったかもしれませんね。そこで皇統の正当性を示すために前述のように仁賢の皇女を娶ったといういきさつがあったのです。やはりいつの時代でも血統や政略結婚が重視されるのだな~、なんて思いました。

今回の話で出た記紀や、雄略あたりの話は以下のリンクからどうぞ。

gonikyuroku.hatenablog.com

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 というわけで今回は長くなりましたが継体天皇について解説しました。