続・欠史八代とは何ぞや?を解説〜本当に存在したのか〜
どうも未来の日本史博士です。
前回紹介した欠史八代ですが、実際のところいたのでしょうか?
まだ前回の記事を見てない方はこちらをどうぞ。
僕の考え
〜ここからは個人の意見です〜
まあ、いないでしょう。だっておかしくないですか?神武天皇の即位が紀元前660年でそこから9代の天皇…そんな古代に100歳超えても存命なのはとても納得できません。しかも、日本書紀や古事記に記載されている情報が少なすぎる。ただ、欠史八代ではなくともその時代にクニを治めたであろう人物がいるはずで、その人物たちの列伝なのではと思っています。
創作説
大多数が占めると思いますけどね〜
とりあえず、紹介します。まず記載されている量が少なすぎる。つまり、系譜的記事はあっても、実績に関する記事がない。年齢が高すぎる。また、陵墓の観点から見ても、葛城地方に揃っているので、葛城氏という豪族が創作に関わっているのではないかと考えられる。全て父子継承というのがその後の皇室系図が複雑なのと合わないんです。
例を見てください。
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すぐ後にはこれほど複雑なんですよ。
じゃあ欠史八代なんて創作で決まりだ!と思ったあなた、
100%創作と判断するのはまだ早いんです。
とりあえず史実説を見ていただきましょう。
史実説
じゃあ史実であるという根拠は何なのか?
まずは創作説の否定から入ることにします。
実績に関する記事が少ないという観点からみると、実は反正天皇、欽明天皇、崇峻天皇、推古天皇なども記述があまりないんです。
でも反正天皇は「宋書」倭国伝の倭の五王の「珍」といわれていて、欽明天皇は仏教伝来時の天皇、崇峻天皇は蘇我馬子に暗殺され、推古天皇は摂政におなじみの聖徳太子がいます。つまり、記事がないからといって創作と断定するのは説得力が欠けると思います。また、たとえ神武天皇の記事が長いとはいえ、奈良盆地の一角の勢力だった時代なので実績が伝わっていないのもおかしくはないはず。父子継承に関しても、2つの説があります。
- 実際に父子継承でつながる
- 実際は父子継承でないつながりがある
大事なのは後者で、日本書紀の文中でも、
「一(ある)に云(い)わく」などという書き方がされている部分もあります。実は異伝によると、4代懿徳天皇、5代孝昭天皇、6代孝安天皇の結婚相手が同一人物であるといわれています。(それも割と怪しいですが…)
この記述からは父子継承であるとは考えにくいはずです。なぜなら、記述からみてもそうですが、創作なら異伝を書く必要がないからです。(もっとも偽造のためというのも考えられますが)でも、そういう言い伝えもあったから書いたって考えるのが普通だと思います。
結果的には、どちらが正しいか分かりませんが、否定派が多数派だったので創作説を覆せそうな意見を多めに書きました。
なんとなく堅い内容でしたがこういう内容のことも書いていきたいと思います。
そして今後の研究に期待しましょう!