藤原一族の野望#4.5(番外編) 宇多天皇から考える皇位継承
どうも未来の日本史博士です。
最近皇室に関するニュースが多いですよね~。
その中でも今後の皇位継承について提起されてる話題も多いな~って思っています。一般人がとやかく言う問題ではないですが、皇位継承について前記事の宇多天皇を参考にして考えていこうと思います。
皇位継承に関する問題点
そもそも皇位(天皇の位)を継承できるのは皇統の男系男子のみと皇室典範(皇室について規定が書かれている法律)に定められています。つまり皇位を継承できるのは少なくとも父親が皇族の子供に限ります。そうなると現在天皇になる可能性があるのは秋篠宮文仁親王殿下(天皇陛下の弟、皇嗣)、その子・悠仁親王殿下、常陸宮正仁親王殿下(上皇陛下の弟)の三名だけです。こういった話をするのは失礼ですが、50年もすると断絶する危機に陥ることが考えられます。
女性天皇について
そういう訳で今後どのようにして皇位を継いでいくのかを可及的速やかに決める必要があるわけです。そこで天皇陛下の娘の愛子内親王殿下をはじめとする女性皇族を皇位継承権を与えようという議論が活発になってきています。しかも女系天皇か女性天皇かで話は変わってきますよね。という訳で今回は割愛。いつかお話します。
皇籍に復活して即位する
今回の本題はここです。それこそ宇多のケースです。一度皇籍離脱した旧皇族を再び皇籍に復活させて立太子、即位させる案です。ここで持論を述べ続けても何も変わらないのでとりあえず継承できる可能性のある、太平洋戦争に敗北した後GHQの指令臣籍降下した11の宮家について解説します。
臣籍降下(皇籍離脱)した宮家の紹介
1 伏見宮家
室町時代に創始された家柄です。そのため筆頭家です。普通は2~3世の孫になると親王宣下されなくなるんですが、世襲親王家という格についていたため親王の位に就き続けました。本来の役目である皇統が断絶しかけた時に跡継ぎを輩出することを実際にする羽目になってその血統が現在にまで続いています。
ちょうど皇籍離脱した時の当主は26代博明王です。曾祖父・祖父共に海軍大将に就任しています。
2 閑院宮家
(始祖直仁親王)
江戸時代に新井白石の進言によって設けられた役職です。こちらも世襲親王家であり、2代・典仁親王の息子が光格天皇になりました。そして光格が典仁親王に太上天皇の位を与えようとして松平定信と喧嘩した、いわゆる尊号一件が起こりました。
(光格天皇)
皇籍離脱した時の当主は7代春仁王です。歴代当主の中には陸軍大将を輩出したこともあります。ちなみに春仁王は皇籍離脱に反対していました。
3 山階宮家
江戸時代の末期に伏見宮邦家親王の息子から創設された宮家です。
皇籍離脱した時の当主は3代武彦王です。
4 北白川宮家
明治初期にこちらも同じく伏見宮邦家親王の息子から創設された家柄です。もともと聖護院宮という名前で初代が改称しています。この家で有名なのは2代目の能久親王ですね。
輪王寺宮という別名でも有名でして、奥羽越列藩同盟の盟主にも担ぎ上げられています。最期は台湾に出征している途中に陣没して皇族として初めて国外で薨去した人物としても有名です。台湾に能久親王を祀った神社があります。
皇籍離脱した時の最後の当主は5代道久王です。2,3,4代目が順番に台湾陣没、パリで自動車事故、戦時中に飛行機の不時着で亡くなっているので不運の家柄と言われていました。
5 梨本宮家
明治に入って伏見宮貞敬親王の息子から創始されました。この家はある点でとても有名です。それは後程。
皇籍離脱した際の当主は3代守正王です。そしてその娘の方子女王が有名であろうと思われます。改名した後は李方子と呼ばれました。
(李方子)
あれ!?「李」??と思ったあなた。宋なんです!大韓帝国最後の皇太子・李垠(リ・ギン)と政略結婚します。当初は嫌で泣いたそうなんですが、意外にも(?)仲は良かったらしいです。終戦後は韓国人として七宝焼を作ったり、障害児の教育の普及に専念して後に韓国側から功績を認められています。
6 久邇宮家
こちらは香淳皇后を輩出した家としてゆうめいです。
皇籍離脱した時の当主は3代朝融王です。
7 賀陽宮家
久邇宮家を創設した朝彦親王の邦憲王が創始し、次の代の恒憲王の時に皇籍離脱を命じられて断絶しました。子孫は天皇陛下の同窓生であり、外務省に勤務しているとか。
8 東伏見宮家
伏見宮邦家親王の子・依仁親王が創設しました。しかし、養子をとることは禁止されていたので、依仁親王が薨去してしまい断絶しました。一応祭祀を継承するために先ほどの久邇宮朝彦親王の孫・邦英王が臣籍降下して東伏見邦英として跡を継ぎました。
9 竹田宮家
テレビによく出演していますよね。北白川宮邦彦親王の子・恒久王が創始しました。その次の恒徳王の時に皇籍離脱しました。ちなみに恒徳と子供の恆和がIOCの委員を務めています。恆和の子・恒泰は男系維持論を唱えてワイドショーなどにも積極的に出演しています。
10 朝香宮家
先ほども出てきた朝彦親王の息子・鳩彦王によって創始されました。その次の代の孚彦(たかひこ)王の時に皇籍離脱しました。
11 東久邇宮家
またも朝彦親王の子が創設した家です。その当主の時に皇籍離脱したので、一代限りの宮家となりました。それが稔彦王です。
(東久邇宮稔彦王)
稔彦王は43代総理大臣になりました。(史上唯一の皇族首相・史上最短)
まとめ
伏見宮家はとても長い血統があり、血筋もそれなりに離れていますが、割と近い血統の家もあります。継承できる可能性のある人物もあります。皇位に復帰するならば当人の性格がいいか、とかも考慮すべきだと思いますが、ここでは省略。
もう間もなく政府が女性天皇などの問題について行動を起こすと思います。その時までも、それからも増々ニュースに目が離せませんね!
次回以降も乞うご期待!