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仁徳天皇陵とは何ぞや?を解説〜仁徳天皇の治世〜

どうも未来の日本史博士です。

近年話題になっている仁徳天皇陵宮内庁の協力のもと学術調査も行われ、堺市世界遺産の登録を目指しています。

では、その仁徳天皇陵仁徳天皇とはどのような人物だったのかわかりやすく解説します。

 

仁徳天皇とは?


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古代の天皇のなかでは割と有名な天皇。さらっと解説します。

応神天皇の第4皇子。

仁徳天皇は実在すると言われている最初の天です。

高句麗地方の「好太王碑文」にある朝鮮遠征の事績(神功皇后とは別)は仁徳天皇の治世のことと考えられています。ここで、仁徳天皇の仁政をあらわすエピソードを紹介します。

「宮殿から家々を見た仁徳は炊事の煙が上がっていないことに気付く。

 民が苦しんでいることに気づいた仁徳は3年間課税を免除したという。

 そして、仁徳自らも倹約に努めたそうだ。」

水害を防ぐ日本最古の堤防・茨田堤や、屯倉(朝廷直属の穀物貯蔵庫)を築いた。

調べてみたところ、寝屋川市にあるようで、石碑が建っています。


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皇后の磐之媛とはいろいろスキャンダルがあって、皇后の嫉妬に苛まれたようです。

 

大山古墳について

仁徳天皇の陵墓であることは疑問視されています。

理由は簡単、仁徳天皇崩御年と年代測定法で調べた年代が200年ほどずれるからです。宮内庁が言うには、新たな証拠が発見されない限り仁徳天皇の陵墓という認識を変えないそうです。

ところで仁徳以降は海に近い河内に古墳が築かれるようになったんです。さあ、なんででしょう?

 

それは、外国の使節に日本の威光を見せつけるためなんです。

しばらく河内に古墳が作られ続けたので25代目・武烈天皇までを河内王朝と呼ぶこともあります。

 

とりあえず、(一応)本題になっている仁徳天皇陵(大山古墳)のスペックを紹介します。


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(引用:共に堺市公式ホームページ)

全長486m 高さ約35m 

濠を含めた面積47万㎡

試算では毎日2000人が働いても15年以上かかると言われています。

なおその規模から秦の始皇帝の墓、エジプトのクフ王のピラミッドと並んで世界三大陵墓と称されています。なお2018年の宮内庁堺市によって初調査が行われました。その結果、土作りだと考えられていた従来の予想と違って表面は石で覆われていたそうです。だから、上のイメージとは少し違うようですね。もっと豪勢な見た目をしていたんでしょう。

 

立ち入りができないという制約はありますが

ぜひ世界遺産登録を目指してほしいものです。

なお、別記事に詳しく解説していますのでどうぞご覧ください。

gonikyuroku.hatenablog.com

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