未来の日本史博士の時典

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藤原一族の野望#6 乱・治・奇

どうも未来の日本史博士です。

今回取り上げる天皇三者三様です。とにかく全然違う性格の三人なのでぼんやりしているとこんがらがりますよ!では始めましょう!

≪今回の時代のキーパーソン≫

今回の時代の天皇 61代朱雀天皇
62代村上天皇
63代冷泉天皇
在位930年~946年
在位946年~967年
在位967年~969年
時の権力者 藤原忠平
藤原実頼
右大臣、左大臣
摂政関白太政大臣

 

「乱」が起こった時の天皇

一人目は朱雀天皇です。菅原道真の祟りを恐れて3歳まで几帳の中で育てたそうです。即位したのは930年です。時代的にどんな乱か想像できますか?

中学校の授業でも習う平将門の乱藤原純友の乱です。中央は藤原氏で固められていても地方はまだまだ荒れていたんですね~。この時政務を執り仕切っていたのが前回一瞬登場した時平の弟・忠平です。忠平は討伐軍を送り二つの乱を鎮圧させました

朱雀治世下に起こったことの他に富士山の噴火、地震などの災害もありました。しかも朱雀自身病弱で皇子にも恵まれなかったので嫌になったのか弟に譲位したそうです。

(ちなみに朱雀は後に後悔して復位を企んだこともあったようです)

醍醐に続く親政

朱雀に譲位されたのが村上天皇です。忠平の死後摂関を置かなかったので「天暦の治」として後世に評価されています。実際は忠平の息子の実頼に干渉されていたようです。村上の治世下には財政再建を図っています。その理由は簡単。朱雀の時代に二つの乱があったからです。貴族たちの給料を減らし、物価対策に取り組むだとか、さらには最後の「皇朝十二銭」である乾元大宝を作ったりしました皇朝十二銭っていうのはその名の通り朝廷が作った銭貨です。村上治世下で最後に鋳造して以降豊臣秀吉政権下なるまで中国の銭貨を輸入していました。

村上は文化面でも大きく貢献しました。「御撰和歌集」の編纂を命じたりと和歌の保護に努めました。さらに琴や琵琶も得意だったらしく国風文化の発展に貢献しました。

ちなみに村上天皇の息子・具平親王の子孫が村上源氏を創設しました。鎌倉幕府を築いた源頼朝といえば清和源氏です。しかし清和源氏は武士として成功するも滅亡します。その反面公家として成功したのが村上源氏です。後の時代の事件に関与する形で歴史上に登場するので今回は割愛。

ちなみに「村上」といった諡号はこの天皇が最後で、江戸後期の光格天皇まで「〇〇院」といった院号がつけられていました。

世にも奇妙な冷泉院

世の中にはいろんな性格の人間がいますよね。天皇家でも例外はなく、ここで紹介する冷泉天皇はとても奇妙な行動が多かったようです。例えば一日中足が傷つくまで蹴鞠をしたり、火事で避難している時に牛車の中で大声で歌ったりと…現代からみてもちょっと変ですよね。理由はいろいろあると考えられています。狭い狭い内裏の中で束縛の多い生活を送っているから、とかですかね。

これを踏まえて藤原実頼大極殿で行っていた即位礼を内裏の中の紫宸殿で行い、簡略化しました。これ以降、昭和天皇の時代まで紫宸殿で即位礼が行われました。

冷泉院の時代の政務と村上源氏の事件は次回解説します。