朝鮮出兵とは何ぞや?を解説〜崇神天皇から神功皇后まで〜
どうも未来の日本史博士です。
朝鮮出兵…そう聞いて何を思い浮かべますか?やっぱり豊臣秀吉のアレ?だと思いますが、私が今回紹介したいのは、神功皇后の治世下のお話です。というわけで始めます!
って、急に言っても時代背景が分からないと思うので、
前回の欠史八代の続きからいきましょう!
なお、欠史八代については以下の記事をどうぞ。
gonikyuroku.hatenablog.comgonikyuroku.hatenablog.com
10代目 崇神天皇
引用:wikipedia
各地に将軍を派遣して、北陸、関東、中国地方を平定したようです。
さらには、疫病の流行をおさめるために、大物主神という神に神意を尋ねて、
ちなみにこの出来事は天皇が神に及ばないことを示しているといいます。
11代目 垂仁天皇
ここは、軽くいかせてもらいます。
主な業績は皇女・倭姫命に伊勢の五十鈴川のほとりに天照大神の祠を建てさせたこと。
これが後の伊勢神宮ですね。そしていまでも有名な埴輪!
それを作らせて殉死を禁止させました。こんなところから始まっていたんですね。
実は彼の皇后といろいろあったようですが今回は省略します。
ちなみに垂仁天皇の時代に紀元をまたいでます。
12代景行天皇は皇子の日本武尊で有名で、成務天皇に関しては、ほとんど事績がないようです。日本武尊と成務天皇は異母兄弟です。
神功皇后
引用:wikipedia
14代仲哀天皇、15代応神天皇はまとめて解説します。仲哀天皇は日本武尊の皇子で皇后が神功皇后です。住吉三神が神功皇后に新羅(朝鮮)をおさめるよう神託を下します。その時、仲哀天皇は従わなかったため、神の怒りに触れて命を落としたそうです。
そこで、神功皇后自ら朝鮮へ遠征します。ここでようやく本題に至りました。
結果、新羅を平定し、同時に身ごもっていた皇子を帰国後出産、応神天皇となります。
応神天皇の治世でも語ることは多くなく、多くの渡来人が来日して、王仁(わに)が論語を伝えました。
今回語るのは以上です。
少々長かった気もしますがこんな感じで続けていきます。