天皇が洗脳された!?道鏡の陰謀とは何ぞや?について解説
どうも未来の日本史博士です。
本当に洗脳されたかは別にしてなかなか混乱した時代でした。とにかく解説していきます。
淳仁天皇と恵美押勝
淳仁天皇が藤原仲麻呂の推薦によって皇太子に任命され、孝謙の譲位の後に即位します。最初はそれなりに政治がまとまっていたんですが、孝謙が道鏡を寵愛するようになると仲麻呂の進言によって淳仁が孝謙上皇を諫めることが多々あったんですが、孝謙は激怒し、仲がとてもとても悪くなります。仲麻呂は淳仁から恵美押勝という名前をもらい、孝謙の道鏡への寵愛もさらに深くなり、両陣営の溝はさらに深くなりました。ついに仲麻呂は反乱を起こすも淳仁は参加せず敗北(恵美押勝の乱)。そして繋がりの深かった淳仁も淡路に流されます。翌年(765年)、脱出を図るも失敗してその翌日に病死します。絶対おかしいですよね。まあおそらく暗殺でしょうね~。ちなみに流罪となった天皇が次に現れるのは崇徳天皇です。まだまだ待ってもらう必要がありますね。この後明治まで淳仁は「淡路廃帝」と呼ばれていました。悲劇の人生ですね。
孝謙天皇 再び即位
淳仁が退位させられた後、重祚(天皇が再び即位すること)して孝謙は称徳天皇となります。淳仁治世下で孝謙は出家していたので、史上唯一出家したまま即位した天皇となりました。問題はここからです。称徳は道鏡をこよなく愛していたのでなんと太政大臣禅師に任命して、しかも僧侶を公的儀式に参加させたりとやりたい放題やってたようです。766年、しまいには道鏡を法王として二頭政治を確立させました。そして神社や仏閣の保護、神仏習合を推し進めました。後程天皇となる光仁天皇は酒に溺れたふりをして難を逃れました。難とは何か?それは刑罰の強化です。粛清が多く、冤罪も多数生まれたようです。
宇佐八幡宮神託事件
物議を醸した話題の事件です。769年に宇佐八幡宮から道鏡が皇位を継ぐよう勧める神託の報告があり、和気清麻呂が確かめにいくと神託が虚偽であることが判明。道鏡を天皇にすることを阻止することには成功しました。まあ公家の総意ですけどね。これを聞いた称徳はかんかんに怒って清麻呂を別部穢麻呂(わけべのきたなまろ)と改名させ左遷。孝謙(称徳)は敵対する人物に蔑んだ名前をつける人物だったようです。
道鏡のその後
結論は簡単。称徳が崩御しました。そして道鏡の権勢は衰え、左遷されました。下野の薬師寺です。天皇制が根本から揺れた事件なのでとても有名です。たとえ称徳が道鏡を天皇にしようと暗躍しようとも周りの貴族は認めませんでした。これは天皇は万世一系であると認められていた証明なんですねー。
次回はようやく平安時代に突入します。
乞うご期待!