未来の日本史博士の時典

大メンテナンス中です。また、現在、新たなブログの改良を始めております。

MENU

藤原一族の野望#10 藤原道長と三条天皇の確執

どうも未来の日本史博士です。

今回は失明寸前の病に陥ってしまう三条天皇と孫の敦成親王の擁立をしたい道長の対立について解説します。

≪今回の時代のキーパーソン≫

今回の時代の天皇 三条天皇 在位1011年~1016年
時の権力者 藤原道長
藤原実資
准摂政
権大納言・右大将

 

中継ぎポジションの天皇

一条から譲位されて即位したのが、今回の主人公の三条になります。でも即位したころはすでに道長の全盛期。しかも孫を即位させようとしていました。三条は息子の敦明親王を即位させようとしていたので対立を繰り返したんですよ。

三条即位の儀式の時ですら道長に遠慮してほとんどの公卿が参列しなかったというだけあって相当寂しい思いをしたことでしょう。

緑内障に蝕まれる三条天皇

2人は対立を繰り返して政務は滞ります。道長有利の中、頼れる人物が藤原実資藤原実資は「小右記」という日記の作者として有名で、歴史的価値が道長の「御堂関白記」よりも高いとされています。)くらいしかおらず困り果てた三条にさらなる試練が襲いかかります。

それは緑内障。現代の人でもなかなか治りにくい病気ですよね。いろんな薬を試したようです。例えば水銀系の薬といった危険性の高い(副作用があるであろう)薬を服用していたようです。

それでも治る見込みはなく、悪化の一途を辿るだけになります。しかも道長は難癖をつけて身内を昇進させたり、三条主催の儀式に敢えて自分の宴会を重ねて妨害したりと攻撃し続けます。

もちろんそのうち圧力に屈して道長に政治の全権を譲りますが、尚も道長は執拗に迫り続けます

無念の親子

結果失明寸前の三条は政務が滞ることを理由に譲位しました。この時の条件が息子の敦成親王東宮(皇太子)に立てること。どうしても即位させたかったようです。

退位するときに心にも あらでうき世に ながらへば 恋しかるべき 夜半の月かな」という歌を詠みこれが百人一首に収録されています。

三条の後任として後一条天皇が即位した後、道長は約束通り敦成親王東宮に立てます。でも道長の親戚でない敦成は徐々に居場所をなくしていきます。後ろ盾も無かった敦成は父同様圧力に屈し東宮を辞退しました。とはいえそれなりに優遇したようで准太上天皇小一条院)の位を宣下して娘の寛子を与えています。

そして後一条の弟・敦良親王東宮に立て道長の思惑通り進んでいくのです。

次回、後一条天皇についてからです。乞うご期待!