番外編 平清盛の半生
どうも未来の日本史博士です。
さて今回は後白河の院政シリーズ第三弾の平清盛の回とリンクする内容で本編を読んでいただければ分かると思いますが、有名とはいえ突然登場しても困惑する読者もいらっしゃると思うのでざっくり語るための番外編です。
平清盛の誕生
平姓なのでまあだいたい想像はつくでしょうが、先祖を辿ると源氏と同じく皇室に繋がるんです。しかも桓武天皇からの子息から流れが来ているので桓武平氏と呼ばれます。
(家系図作成本舗さんから引用してきました)
その一族・平忠盛の長男として生まれ、祖父・正盛や父・忠盛は北面の武士として白河上皇の院政からずーっと仕えていて、そのバックグラウンドが存在する中で跡を継ぎました。
(平忠盛)
後白河からの信頼は厚く、延暦寺の僧兵が清盛の郎党が起こした騒動の責任を取らせるために流罪を要求した際、後白河は全力で守っています。
また安芸守となって瀬戸内海を掌中に収め厳島神社を創建し、信仰します。
保元・平治の乱
保元の乱では後白河天皇、源義朝と協調して勝利を納めました。しかし、義朝と軋轢が広がり、そのまま平治の乱に突入しますが、ちょうど熊野へ行っており、後白河・二条天皇が幽閉されます。しかし大急ぎで京都に戻り、義朝と藤原信頼に協力する風に見せかけて、後白河・二条を奪還し流れを大きく変えました。
結果、大勝に終わり、権勢はさらに広がることになるのです。
その後
ここからは本編にて解説していきますので、そちらでお楽しみください。